「互いに、礼!」

ブルーのマットの両端から進み出た二人の選手は
互いに軽く頭を下げた。
その瞬間会場の観客席からの大きな歓声が二人を包み込んだ。
フルコンタクト系の団体「武明館」が主催するこの
トーナメントは毎年開催されるが、
今年の盛り上がりは例年に無いものになっていた。
その原因は今、マット上に立っている二人の選手の片方にあった。
二人は顔面を保護するスーパーセーフで頭部をすっぽり覆い、
空手着にオープンフィンガーグローブという姿をしており、
グローブとスーパーセーフの色が赤と青で区別されている。
赤色の選手は太い首と広い肩幅を有しており
空手着の上からでも肉厚でがっちりとした体格がわかる。
対して青色の選手はその相手よりも手足が長く、細身に見える。
____会場の注目を集めているのは青色の選手だった。

赤色の選手___三笠敢(みかさ いさむ)は
相手のつま先付近を睨みつけるように目線を落とし、
体の底からこみ上げてくる熱気と震えを抑えていた。
___負けたくない___
そう思わなかった試合は無いが、
今回は特に強く思った。


三笠はこのトーナメントには今年で三回連続出場になる、
一回目は初戦敗退を喫したが、二回目は四位に食い込んだ。
周囲は健闘を称えてくれたが自分の中では納得がいかず、
今年はさらに研鑽を積み
自分の長所であるパワーとスタミナのみならず
技術面も向上させて来た。
下馬評では不本意ながらダークホース的なポジションだったが、
それはしょうがないと思った。
前回優勝者である古江秋定(ふるえ あきさだ)がいるからだ、
前回自分が敗れた相手でもある。
全てにおいてバランスが取れており、
何より勝負勘が頭抜けてよかった、
今回も彼は優勝候補筆頭であり、自分も勝ち上がれば
また彼と当たることになるだろうと思っていた。
ところが、その彼が一回戦で敗退した、
目の前のこの男に負けたのだ、
鮮やかな一本勝ちだった。
古江ほどの男が不覚を取る相手には思えなかった、
大会初出場であるその男の経歴は、
ボクシング、レスリング、剣道、柔道、ets・・・
とにかくあらゆる格闘技で優秀な成績を残し、
この大会に出場するに当たっても大いに話題を呼んだ言う。
聞いた時にはふん、と思った。
あっちを齧りこっちを齧りして得た技術など所詮浅い、
本当に役に立つ能力は一つのものに脇目もふらず
打ち込んで初めて得られるものだ、
何よりも他の出場者に比べて余りに若すぎる。
大げさに話題が広がったのも開催側の客寄せの効果だろう、
そう、思っていた。
正直古江の敗北を目の当たりにした時もまぐれだと思った、
しかし、試合後に会った古江の反応はそれを否定するものだった。
彼は敗北したその相手に畏怖すら覚えているようだった。
それを裏付けるように、
その男は破竹の勢いでこの決勝まで上がって来たのだ。

___負けたくない___
繰り返し思った、
自分の持論を証明したい、
ぽっと出の一回りも若い相手に遅れを取りたくない、
古江が感じた畏怖を否定したい___

「構えて!」
大きく息を吸い、吐く。
「始めい!」


三笠は顎を引いて腰を落とし、
太い腕で頭部を覆うように高く構えた。
相手の男は半身に構え、
距離を測るようにゆるく開いた左手をこちらに掲げた。
その体にはどこにも力んだ様子は無く、
全身がリラックスしているようだ。
・・・その胴体に重たい一撃を見舞ってやれば、
消し飛びそうに見える、
掲げられた左手を取ればあっさり寝技に引っ張り込めそうに見える。
しかし、そうは行かない事はこれまでの試合で分かっていた。
自分より細いその体には強靭なバネが潜んでおり、
驚異的な瞬発力でこちらの動きに反応するのだ。
そして今までの試合を見てきても得意技というのが判別できない、
状況にあわせて何でもやってくる。
打撃戦になれば打ち合うし、寝技になればそれに付き合う、
しかも何をやってもそれで相手を凌駕してしまう。
三笠は思う、そんな超人がいるものか、
だが、現に目の前のにいるのだ、
どうすればいいか、
どうするもこうするもない、
三笠はいつも通りにした。
ガードを固めたままずい、と前進すると、
相手の左膝の裏側目掛けてローを放った、
相手は膝を浮かせて受けたが威力を吸収しきれずに
体をくるりと回転させた。
間髪入れずに同じ所にもう一度ローを放つ、
今度はうまく流される。
三笠は両腕に一層の力を込めた、
予想通り反撃が来た、
右のこめかみ付近と左の脇腹、
ガードで視界が狭いため相手がどう打ったかわからないが、
衝撃は二箇所にほぼ同時に、
しかも相当の重さを伴っていた。
だが、防いだ、
打ち終わりを狙って再三左膝にローを打ち込む、
先程よりいい手応えがあった。
いいぞ、これでいい、
攻防の始めに必ず左のローを入れ、
終わりしなにも必ず左のローを狙う。
それだけに集中する。
相手は大きいバックステップで距離を開け、
リズムを整えるようにステップを踏み始めた。
三笠は相手の表情からダメージを読み取ろうと、
腕の隙間から相手を伺った。
その瞬間、
その僅かな隙間に青いグローブが突き刺さった。

三笠が僅かな隙を見せた瞬間、
相手の体が何の予備動作も無しに吹っ飛んできたのだ。
開いたはずの距離を一瞬で踏み越え、
その勢いのまま右拳を体ごとぶつけた。
会場には打撃音ではなく、
ばりん、という交通事故を連想させるような破壊音が響いた。

三笠は腕を開いた中途半端な姿勢のまま、
突き飛ばされたマネキンのように、ごとん、と仰向けに倒れた。
その体の上に粉砕されたスーパーセーフの破片が
ばらばらと降りかかる。
観客席から悲鳴交じりの歓声がどっと沸き起こった。
審判は慌てて余計な追撃を防ぐため両者の間に割って入った。
青いグローブの男は軽く残心を取ると開始線に戻り、スーパーセーフを外す、
その下から豊かな赤毛が現れた。
審判は戸惑いながらも彼の勝利を告げた
「勝者、長谷部京太郎(はせべ きょうたろう)!」

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